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1964年の東京五輪の開催に伴い、整備された宮下公園が、渋谷駅周辺の再開発と連携してリニューアル。「渋谷の方位磁針|ハチの宇 宙」は、パブリックアートの普及を推 進するDESIGNARTが、渋谷区観光協会、渋谷未来デザインと協業し、プロデュースしました。
渋谷の新しいシンボルとして、新宮下公園に誕生した忠犬ハチ公像。巨大なコンパスの真ん中にちょこんと座り、見上げる空には何が見えるのでしょうか。この作品に託した未来へと続く物語を現代アート作家の鈴木康広に訊きました。
Text: Toshiaki Ishii @river
パブリックアートの役割とは
ありふれた日常に潜む小さな発見を、独自の“見立て”でとらえ直し、ものの見方や世界のあり方を問いかける作品を発表している鈴木康広。愛知万博のオープニングで使用された「まばたきの葉」や瀬戸内国際芸術祭で海を切り開いた「ファスナーの船」、六本木アートナイト2018にも登場した「空気の人」など、人々の原体験ともいえる記憶を呼び起こし、五感に訴える彼の作品は、近年、国内外で大きな注目を集めています。
そんな鈴木が手がけた最新のパブリックアート「渋谷の方位磁針|ハチの宇宙」が、今年8月に開業した
「MIYASHITAPARK(ミヤシタパーク)」に登場しました。MIYASHITAPARKは、渋谷再開発の一環として公園、商業施設、ホテル、駐車場を一体化させた渋谷の新しいランドマーク。全長約330メートルの複合施設の屋上部には、渋谷区立宮下公園が広がり、そこに彼の作品が設置されています。
「最初に、DESIGNARTと渋谷区観光協会、渋谷未来デザインから“新しい渋谷のシンボル”になるような作品をつくってほしい、という依頼
があり、自分なりにどういうかたちでコミッションできるのかを考え始めました。というのも、パブリックアートは設置が完了したらそれで終わりではなく、長い年月をかけて作品が近隣の生活者や多様な来訪者と、どうかかわっていくのかをデザインすることも大切だと思うからです」
ここにしかないもの、訪れたことを記憶に刻むもの、と徐々に想像を膨らませ、鈴木がたどり着いたモチーフが渋谷区の地図でした。目指したのは、来場者がいまいる場所と、これから向かう先の方位を身体で感じられる作品です。
「渋谷区の形状をベンチに落とし込むことで、そこに座った人が地球上にある渋谷という場所に意識が向くのではないか、と考えました。同時に、明治通りに沿って南北に広がるMIYASHITAPARKは、道行く人たちにさりげなく方角を知らせるコンパスの“針”のような場所。そのことに気がついたのも、自分のなかでは大きな発見でした」
鈴木は、かつて手がけた作品「日本列島の方位磁針」をもとにアイデアを発展。しかし、渋谷区の輪郭があまり認知されていないことを知り、発想の転換を迫られます。
「そんなとき、プロジェクトメンバーの間で、方位磁針の針(渋谷の地図)の中心にハチ公がいたらどうだろう、という話になったんです。最初はその案にリアリティを感じられませんでしたが、ハチと渋谷の歴史やハチ公像のことを調べているうちに、どんどん興味が湧いていきました」
“長い年月を見据え、生活者や来訪者とのかかわりを
デザインすることも大切です”
物語性がその場所を特別なものに
そして、このプロジェクトをきっかけに、鈴木は渋谷に出かけるたびに、実物のハチ公像を見に行くようになりました。その日の天気や見る角度によってハチがうれしそうに見える日もあれば、寂しそうに見える日もある。新しいハチ公像をつくると決めてからも、見るたびに変わる、生きているかのようなハチをどう再現するか、大いに悩んだそうです。
「初代のハチ公像は1934年に彫刻家の安藤照さんによって制作されました。それが太平洋戦争中の44年に軍需品をつくるための金属回収運動で供出され、制作者の安藤照さんも45年の山手大空襲で亡くなってしまいます。2代目ハチ公が再建されたのは、終戦から3年後の48年。それを手がけたのは、安藤照さんの長男の士(たけし)さんでした。原型は焼け、資料も記録も何も残っていなかった状態から、士さんは記憶に残っていた印象だけでつくられたそうです。そのエピソードを聞いて、“なるほどなぁ”と、妙に肚落ちしたんです」
安藤士は、オリジナルのハチ公像に込められた日本犬の凛々しさを引き継ぎながら、人と犬との絆といった、目には見えないけれど、戦争を経た渋谷の街に人々が望むものを浮かび上がらせたのではないか。ハチをモチーフにした新しい造形を目指すのではなく、ハチ公像と宮下公園との新たなかかわりを見つけられたらいい。鈴木のなかで、モヤモヤした気持ちが吹っ切れた瞬間でした。
「その後、自ずと物語が広がっていきました。もしもハチが生きていて、新しい宮下公園に空を見わたせる広場ができたら、星になった上野博士にいちばん近いその場所で見上げたいと思うでしょう。また、いまやハチは世界中の人々に語り継がれる果てしない“宇宙”のような存在ですが、それは動物と人間との間に芽生えた他者への想像力が、国境を越えて人々の心に何かを呼びかけるからではないでしょうか」
忠犬ハチ公像とは、渋谷を象徴しながらも、あらゆる世界とつながっている特別な存在。そこに鈴木は、コミュニケーションが生まれる隙間を残したといいます。
「このベンチに近所だけでなく、地球上のさまざまな場所からいろんな人がやってきて、自然につながり、予期せぬ出会いが生じたら面白いですよね。なかには、見上げるハチの姿を見て、世の中の希望となる何かが偶発的に生まれることだってあるかもしれない。MIYASHITAPARKが、そんな未来へと向かう、“渋谷の方位磁針”になることを願い、この作品に『渋谷の方位磁針|ハチの宇宙』と名付けたんです」
鈴木が紡ぐユーモアのある物語は、均質化する都市の風景に、そこでしか味わえないかけがえのない思い出を刻み込みます。訪れた一人ひとりの“待ち合わせ”が、その場所での特別な物語になる。そうしたさりげない日常に、小さな発見を与えてくれるのも、パブリックアートの存在意義のひとつなのかもしれません。
“アートは均質化の進む都市の風景のなかで、
その場所ならではの記憶を刻み込みます”
artist profile
アーティスト
1979年静岡県生まれ。2001年東京造形大学デザイン学科卒業。14 年に水戸芸術館で個展を開催。16年に「第1回ロンドン・デザイン・ビエンナーレ2016」に日本代表として参加する。
武蔵野美術大学空間演出デザイン学科准教授、東京大学先端科学技術研究センター中邑研究室客員研究員。